
こんにちは。あいです。
この記事では小説「三四郎」(夏目漱石作)を読んだ感想をまとめます。
※読了直後のネタバレなしの感想はブックメーターにまとめています。
登場人物について
【主役格の登場人物】
小川 三四郎
九州から上京してきた青年。
里美 美禰子
三四郎が意識させられる相手。聡明できれいな女性。
その他の主な登場人物
野々宮 宗八
三四郎の同郷の先輩。自身の研究に没頭している。
佐々木与次郎
三四郎の同級生。お調子者。
広田先生
与次郎の寄宿先の主人。高校の教師。
物語について
この章では、印象に残ったセリフをページ順に引用しながら、感想を交えて物語を振り返ります。
第一節
広田先生との出会い
「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「滅びるね」と言った。・・・(中略)・・・「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」
「三四郎」 (夏目漱石/著 角川文庫)p.24-25
東京行きの電車で三四郎が初めて広田先生と会ったときのやり取り。
私が感じている今の日本の気持ち悪さを端的に言語化してくれている。
「日本はこんなに素晴らしい」と自画自賛するのは結構だが、広田先生の言葉を借りるなら、これはただの贔屓だ。何の発展性もない。
文章量が多くなるため引用は中略としているが、日本より頭の中の方がもっと広いと広田先生は述べている。
常に価値観はブラッシュアップさせていきたい。
第三節
図書館の落書き
「余今試験のため、すなわちパンのために、恨みをのみ涙をのんでこの書を読む。岑々たる頭をおさえて未来永劫に試験制度を呪詛することを記憶せよ」
「三四郎」 (夏目漱石/著 角川文庫)p.51
三四郎が図書館で手に取った本に書いてあった落書き。
気持ちが痛いほどわかる文章だった。
学問というものは、本当は生きることとは別であるべきだと私は考えている。
結果的に学問で生きていけるというのなら大いに結構だが、初めから金のための学問なんてつまらないだろう。
そう考えると試験制度なんていうものはつまらないものの最たる例だ。
第三節
広田先生との再会
「東京はどうです」「ええ……」「広いばかりで汚いところでしょう」「ええ……」「富士山に比較するようなものはなんにもないでしょう」
「三四郎」 (夏目漱石/著 角川文庫)p.77
東京で三四郎が広田先生と再会した時の会話。
電車で初めて会ったときの会話に紐づけたやり取り。
世間に対するこんな皮肉を軽やかに言える広田先生に好感が持てる。
第六節
与次郎の活動
与次郎はすこぶる能弁である。惜しいことにその能弁がつるつるしているので重みがない。
「三四郎」 (夏目漱石/著 角川文庫)p.154
与次郎が自身の活動を三四郎に手伝ってほしいと依頼してきたときの三四郎の独白。
よく見かける性質だが、表現がユニークだと感じた。
仕事の上司等がこうだと腹立たしいが、友人くらいだとむしろ面白い性質だ。
第九節
三四郎の借金
「人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がしてみたいものだ」
「三四郎」 (夏目漱石/著 角川文庫)p.230
美禰子に金を返すと言っている三四郎に対して与次郎が向けた言葉。
お調子者の与次郎らしい適当な発言だが、確かになるほど、という気もする。
そもそも美禰子から金を借りているのはこの発言をしている与次郎なのだから面白い。
第十節
広田先生との会話
中学教師などの生活状態を聞いてみると、みな気の毒なものばかりのようだが、真に気の毒と思うのは当人だけである。なぜというと、現代人は事実を好むが、事実に伴う情操は切り捨てる習慣である。切り捨てなければならないほど世間が切迫しているのだからしかたがない。
「三四郎」 (夏目漱石/著 角川文庫)p.245
広田先生と柔術の学士の会話の要約。
これも目の付け所が面白い考え方だと思われた。
確かに殺人事件や交通事故のニュースを見るにつけて、多少なりともかわいそうだとは思うが、事件に関わった人たちにとっては気の毒だなんてものではないだろう。
第九節で引用した与次郎の親切の話ではないが、心配するにも多少は精神的なゆとりが必要そうである。
原田さんとの会話
「つまり絵の中の気分が、こっちへ乗り移るのだね。」
「三四郎」 (夏目漱石/著 角川文庫)p.256
原田さんが美禰子の絵を描きながら三四郎へ発した言葉。
元気な歌を聴いているとこちらも元気になれる、といった効果の絵描き版だろうか。
絵に限らず、一つの作品に何か月も何年も時間を掛けられる人のモチベーションみたいなものが一つ知れたような気がする。
三四郎の告白
「あなたに会いに行ったんです」
「三四郎」 (夏目漱石/著 角川文庫)p.262
三四郎が美禰子に想いを伝えた言葉。
ここまでの三四郎の行動を顧みると「よく言った」とでも声を掛けたくなる。
「好きです」ほど直球ではないところも趣があって青春を感じる。
「三四郎」を読んだ感想まとめ
本記事では、「三四郎」(夏目漱石作)を読んだ感想をまとめました。
「三四郎」は特に大きな事件が起こるわけでもなく、三四郎という一人の青年のありありとした青春が描かれた作品となっています。
事実だけ切り取るとそう楽しい話もないのですが、爽やかな登場人物が多く明治という時代の世界観も楽しめます。
広田先生を通して夏目漱石の作品らしい価値観も表現されていて、夏目漱石の作品が好きな人は共感を覚えるのではないかと思います。
それでは。