
こんにちは。あいです。
この記事では、私の遺書を綴ります。
現場出張中に死が頭をよぎった経験から、平時の内に書き上げています。
読んでも楽しくはないかもしれませんが、何か参考になるものがあれば幸いです。
死の間際に遺書は書けない
遺書を書くには相当のエネルギーが必要
遺書を書いたことがある、もしくは本気で書こうとしたことがある人ならよく分かると思いますが、遺書を書くには相当のエネルギーを要します。
遺書を書くということは、自分の死と向き合うということです。
他の誰でもない自分の死と向き合うというのは恐ろしいに決まっており、自分の死を前提で書く遺書くなんて感覚的にとんでもない行為だと分かります。
私は過去に何度かトライしたことがありますが、毎回涙が止まらなくなって一文字も書けませんでした。
私の場合、精神的に追い詰められて自殺する前に書こうとしていたのですが、今になって思えば、ただでさえ弱っている精神状態で遺書を書くエネルギーなんてあるわけなかったんですよね。
いつ死ぬのかはだれにも分からない
これは当たり前のことですが、死ぬタイミングはだれにも分かりません。
急に亡くなってしまうような状況で「遺書を書いておけばよかった」などと考えている余裕があるのかは分かりません。
しかし、一言も言葉を残せずに亡くなってしまうのは寂しい、生きている人に申し訳ない、というような気持があるのであれば、元気な今のうちに書いておくべきだと思います。
遺書本文
前書き
遺書(遺言)はパソコンで記載したものについては法的効力はないそうです。
本記事は遺産相続といった類のことは記載しておらず、あくまで私の想いを綴っただけの文章となっております。
読まれる方へ私の想いを伝えるためだけに記した文章ですので、ご自由に解釈してお読みください。
尚、記事を執筆している段階では、不可抗力による死なのか、自殺による死なのか分かりませんので、そこには特に拘らず、あくまで私が死ぬ前にお伝えしたい想いを書かせていただきます。
両親へ
私が精神的に追い詰められていた時期をよく知っておられるお二人ですので、それなりに心構えはしていただけていましたでしょうか。
お二人が私を愛してくれていたことは重々承知していましたが、精神的に追い詰められて以来、私は「よくも生みやがったな」という思いが消えることはありませんでした。
勘違いしていただきたくないのですが、別に恨んでいるわけではありません。
他人のせいにしなければ自分の命を受け入れられなかったのです。
悔やまれるは、私の精神の未熟さです。
寧ろ私のような子を持ったことに同情いたしますので、せめて運がなかったのだとお考えください。
兄弟へ
それぞれ大人になり、家も離れて暮らすようになってからは会う機会も減りましたが、元気にお過ごしでしょうか。
最期なので正直に言いますが、お恥ずかしながら、子供の頃は私の方が優れているとさえ思っておりました。
しかし、年を重ねるとともに自分の未熟さを知るにつれて、自分がいかに幼稚だったか思い知らされていきました。
私が知らないところで苦労していた話を後で聞くにつれて、純粋に大したものだと感心させられていました。
あまり自覚はありませんが、劣等感を感じていたほどかもしれません。
私の分もというわけではありませんが、どうぞ幸せに生きてください。
祖父母へ
あなた方が生きているまでは私も何とか生きようと思っていましたが、どうでしょうか。
自覚はないと思いますが、きっとあなた方がいなければ私はとうに自決していたでしょう。
私がどうしようもなく辛く、家族も友人も頼れなかったときに救ってくれたのがあなた方でした。
それ以前も以降も、思い返せばあなた方は私がどんな選択をしたときも肯定してくれていました。
無償の愛とはこういうものだと、人は生きているだけで肯定されて良いのだと、また、ただこの肯定があるだけで人は生きていけるのだと今では思います。
伯叔父母へ
もし、人生で最も尊敬する人を挙げるとなれば、私はあなた方の名前を挙げるでしょう。
大変失礼な言い方となってしまいますが、私から見たあなた方は決して環境には恵まれておりませんでした。
一方的な思い込みで申し訳ありませんが、あなた方の頑張りを思うにつけて、世の中の理不尽を感じておりました。
しかし、そんな中でもあなた方は朗らかなお人柄で生きておられました。
生前は流石に聞くことがためらわれましたが、己の人生を恨むようなことはなかったのでしょうか。私が知らない苦労があればぜひお聞きしたかった。
あなた方のような人が幸せでいられる世の中であることを願います。
友人へ
雑な括りで申し訳ない。
本当なら一人ひとりに当てて書きたいが、あまり個人に向けた言葉にすると切なくなるので…
私は自分がろくでもない人間だと自認しているが、言ってしまえばいつでも断てられるはずだった私との関係を持ち続けてくれたことは素直に感謝したい。
本当なら毎日でも一緒に遊んでいたかったです。もし、そんな人生だったなら私ももっと生きていたかった。
きっとまた一緒に遊びましょう。
遺書を書くことのまとめ
本記事では、私の遺書について綴りました。
以前には一文字も綴ることができなかった自分の遺書、ひとまずは形にできたので安堵しております。
私の価値観を全開にして書いた文章ですので、少々気取っている感じが出ていても悪しからず。
それでは。